高校球児達が父に元気を与えてくれた!トンボがつないだ甲子園への夢と絆の話

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こんにちは、らくスノです。

今記事を書いているのは太陽の日差しが眩しい8月、外は猛暑と蝉時雨です。

ニュースのスポーツコーナーでは、連日甲子園の話題。

私も日中ブログを書く手を止めて、ついつい球児たちの汗と涙の熱戦に目を向けてしまいます。

十数年前、私も高校球児の一人でしたので、選手たちに当時の自身の面影を重ねて、思わず「頑張れ~」と応援してしまうのです。

そんな夏の日が今回の物語の舞台です。

今日は私の父に元気を与えてくれた、ある高校球児達についてお話したいと思います。

 

はじめに

私らくスノは長男で、6歳違いの弟がいます。

同じマンションに少年野球チームの監督が住んでいた縁で、兄弟は小学生の頃から野球を始めました。

やがて兄弟は共に高校球児となり、特に弟の翔太(仮名)は、まだ甲子園出場経験は無かったものの急激に力を付けていた私立A高校に入学したのです。

しかし、三年生となった弟の翔太がエースとして出場した最後の甲子園地方予選も、A高校はベスト8で敗退し、らくスノ兄弟の夏は終わりました。

 

ただ、親としては胸をなでおろしたと思います。

高校球児の子どもをもつ親なら誰しもご理解いただけると思いますが、はっきり言って周りはサポートが大変なんです。

私の父や母も多分に漏れず、当番制で毎日何十リットルのお茶を作って練習グラウンドまで車で運んだり、県外の遠征にも必ず応援に行ってました。

特に母は、負けて大喜びでしたね(笑)

 

私の父は腕の良い建具職人だった

話は変わりますが、ここで父の話をしたいと思います。

ご覧頂いている皆様は、建具職人をご存知でしょうか?

建具職人は、大工さんの作ったお家にぴったり合った、障子や襖、ドアや備え付けの家具などを納入するのが主な仕事です。

家の基礎を作るのが大工さんの仕事、建具屋は完成した家の中のものを作ります。

『戸』『扉』『ドア』『障子』『襖』など開け閉めするものを一般的に建具といいますが、他に建具屋の仕事として『仏壇』や『家具』なども作っています。

引用:奥出建具店ホームページ

一般の方にはあまり馴染みがない職業かもしれませんが、大工さんが建てた家の扉や家具を作るのが建具職人と呼ばれる人たちの仕事。

 

父は、腕が良いと評判の建具職人で、20年ほど前に親方の引退にともない会社を引き継ぐことになったのです。

しかし、オーダーで家具を作る家が少なくなった事や、海外からの安価な木工品の流入なども重なり徐々に仕事が減り、とうとう数年前に廃業しました。

すでに私も弟も独立しており親の役割は十分果たしたと思いますが、ともあれ生涯現役を掲げていた父がこんな形で仕事を辞める事になったのは、さぞかし悔いが残ったでしょう。

 

父も職人気質のご多分に漏れず、30~40代の働き盛りの頃はとにかく短気、口より先に手が出るイケイケタイプで、私や弟もよく殴られました。

皆さん、だいたい殴られたなんてエピソードの9割は平手打ちでしょ。

うちは違いますよ、父は正真正銘、純度100%のグーパンチです(笑)

ですので、反抗期はそんな父と距離をとり、ほとんど会話した記憶もありません。

しかし、そんなに嫌いだった父ですが、やはりイケイケ時代を知っているだけに、廃業して元気がなくなった姿を見るのは息子としてとても不憫でなりませんでしたね。

 

その依頼は突然だった

それは突然の出来事でした。

ある日、弟が卒業したA高校の野球部監督から父宛に電話があったのです。

 

監督

グラウンド整備用のトンボを作ってもらえませんか?

 

野球をプレーしたことのある方なら、誰しも使ったことがあるグラウンドの整備道具トンボ。

どうやら、監督は野球部OBである私の弟翔太の父が建具職人であるという情報を、どこからか入手したようなのです。

 

トンボとは?

トンボとは、グラウンド整備用に使用されるT字の整地用具のこと。

特に野球はスパイクでグラウンド表面が荒れることが多いので、定期的にトンボで整備することが必須なんです。

出典:http://kugyousou.net/blog-entry-2078.html

 

なぜ父に依頼したのか?

ここで、ある疑問が浮かび上がります。

なぜ、わざわざ私の父に依頼したのでしょうか?

監督
部費も無限ではありません、トンボは消耗品ですが少しでも出費を抑えるため依頼させていただきました。

この辺りの事情も、野球部にいた方ならお分かりいただけると思います。

木製のトンボは、整備しているうちに木がすり減るため、定期的に購入しなければなりません。

インターネットで調べたところ、一番安い業者でも1本3000円~でした。

A高校野球部は部員が常時50名前後は在籍しているため、その練習を補うトンボの数は数十本。

監督が頭を悩ませるのも容易に想像ができます。

 

金属製やハケではダメな理由

もちろん、金属やナイロンブラシでできたトンボもあります。

しかし、金属製だと重量が重いため余計な土まで掘り起こしてしまい、均等に整備することができません。

逆にナイロンブラシでできたトンボは、スパイクでえぐれた部分などがうまく整備できず、イレギュラーバウンドの原因となってしまうのです。

現在プロが使用する球場でも木製のトンボが使われています。

出典:https://www.fungoal.com/brush.html

 

依頼を受けた父は…

依頼を受けた父は、当初乗り気ではありませんでした。

もう俺も引退した身だし、今更トンボ作りなんて…
らくスノ
いやいや、目の前に困っている人がいるんだから、できる限りしてあげるのが人情ってもんでしょ!

正直、腕の良い建具職人だった父にとって、トンボ作りなど造作もありません。

しかし、本気になればオーダー家具まで作ることのできる腕を持つ職人、父は父なりにプライドがありました。

「トンボなんて安直なもの、俺は作りたくない」という微妙な感情がそこにあったのです。

らくスノ
翔太(弟)の立場もあるんだし、人助けだと思って一回だけ協力してあげたら?

というわけで、最後は感情論で説得し、一回だけという条件付きで無理やり作らせることになりました。

 

トンボ制作が始まる

建具職人を廃業してからの父は、清掃のアルバイトをしていました。

そのアルバイトの合間をぬって、トンボ制作が始まったのです。

もともと建具屋の会社があったのは親方の自宅。

親方はすでに亡くなっていましたが、数年前まで父が事務所兼作業場として使っていたので、今でも工具はすべて揃っています。

親方の奥さんに事情を説明したところ快く承諾してくださり、場所と工具を借りることはできました。

また、材料の木材は父の知り合いの業者が特別価格で融通してくれることになったのです。

 

私達兄弟に乗せられるがままトンボを作る羽目になった父ですが、日に日に元気を取り戻していったのは誰の目にも明らかでした。

私も、休日や平日仕事の合間をぬって父の様子を見に行きましたが、やっぱり清掃のバイトをしている時よりも輝いているんですよ。

思春期だった当時、あれだけ嫌いだった父ですが、今はトンボ制作している姿にイケイケだった頃の面影を重ねて、私はなんだか嬉しくなりました。

 

球児達との出会い

引退してすでに数年が経過していましたが、未だ腕は衰えておらず、あっという間に数十本のトンボが完成しました。

そして、完成したトンボを軽トラックでグラウンドに運ぶことになったのです。

グラウンドに着くなり、部員たちが荷下ろしを手伝ってくれました。

部員
すげぇ新しいトンボだ~!!!!!!
部員
今使っているやつはもう山が残って無かったし、これで整備しやすくなるね~

そこには、父の予想に反して大喜びする球児たちの姿があったのです。

たかがトンボごときで、こんなに喜んでくれるのか…

 

球児たちは再び父にものづくりの喜びを教えてくれた

父がイケイケだった30年前、世の中はバブル全盛期でした。

当然、父の仕事も順調で、建具をフルオーダーするクライアントも多かったようです。

しかし、父が廃業した時は海外から安価な製品の波が押し寄せ、また、建具をオーダーするのは贅沢といわれるまでになっていました。

 

父はイメージ通りの内装ができて喜ぶクライアントを見ることが、仕事へのやりがいだったのだと思います。

でも、いつしか建具はクオリティよりも価格勝負の世界となり、廃業前はすでに仕事への情熱を失っていました。

そんな中、トンボを届けた時の球児たちの喜びは、父が30年前の情熱を呼び覚ますには十分な出来事でした。

俺が作ったもので喜んでくれる人がいるんだ…

その日から、父はさらに元気を取り戻していきました。

 

すり減ったトンボが練習量の証

父の作ったトンボはとても評判がよく、定期的に監督から注文がありました。

当初、監督からは「せめて材料費くらいはお支払いさせて下さい」と要望があったようですが、結局父は一銭も受け取りませんでした。

どうせ知り合いの業者から廃材をタダ同然でもらっているだけだし、お金はいいですよ。

本当の話かどうかは分かりませんが、父も好きでやっていることですし、関係の無い私が余計な詮索をするのはやめました。

そして、たまに実家に帰ると、父が嬉しそうにトンボの話をするのです。

最近は特にすり減るのが早くて、制作が追いつかないんだよ(笑)

そうです、トンボのすり減りが早いのは、それだけ選手達が甲子園を目指して一生懸命練習しているということの証。

父も、そのことを知っているので、がぜん張り切ってトンボ制作に勤しんでいました。

部員
おじさん、いつもトンボありがとう!とっても使いやすいよ!
部員
甲子園が決まったら、おじさんを球場に招待するから楽しみに待っててね!
お前ら、俺が生きているうちに甲子園行かないと呪ってやるからな(笑)

そして、そのチャンスはついに巡ってきたのです。

 

甲子園へのチャンスが巡ってきた

そして、今年ついに夏の甲子園へのチャンスが巡ってきたのです。

毎年夏の地方大会は万年ベスト8止まりだった高校が、今年はWエースの活躍もありノーシードながら決勝まで勝ち進むことができました。

父も地方予選のニュースを、まるで我が子が出場している大会のように連日熱心に見ていました。

そして、決勝当日は私と弟の翔太を含め3人で応援へ行くことになったのです。

 

 

決勝戦の結果は…

当日、天気は曇りでしたが、グラウンドのコンディションは上々。

相手は予選の3試合をコールド勝ちした爆発的な攻撃力を持つ古豪ですが、こちらも負けてはいません。

A高校のWエースも今日は調子が良さそう。

 

しかし…

序盤中盤と一進一退の攻防が続きましたが、終盤でアクシデントが発生。

A高校の先発が怪我で降板し、急遽Wエースのもうひとりが緊急登板することになりましたが…

準備ができていなかったのが、一挙に連打を浴び万事休す。

あと一歩のところで、甲子園出場は叶いませんでした。

 

 

あのイケイケだった父が…

グラウンドで泣き崩れる選手達…

表彰式でも、まだ号泣している選手がいました。

勝負とはいえ、やはり負ける姿を見るのは胸が締めつけられます。

 

その時です、隣で座っていた父を見た私と弟はとても驚きました。

若い頃あれだけイケイケで涙などいっさい見せなかった父が、タオルで顔を覆い号泣していたのです。

…もう、かける言葉もありません。

私と弟は、アイコンタクトで「そっとしといてあげよう」と示し合わせました。

 

小説よりも奇なりとはいきませんでしたが…

結局、甲子園への夢は来年以降に持ち越されてしまいました。

ここで勝っていれば、この記事ももっとドラマティックなものになっていたと思いますが(笑)なかなか小説やドラマのようにはいきませんね。

父も、あの涙は幻だったんじゃないかというくらいの笑顔で球場を出て、帰宅の途につきました。

 

そうです、夢はまだ終わっていません。

来年、また1、2年生や新入生達が、甲子園を目指し父のトンボを使って練習に励むことでしょう。

 

まとめ

いかがでしたでしょうか。

当初、A高校が甲子園に行けなければこの記事を書くつもりはなかったのですが、私自身とても感動した出来事だったので気がついたらキーボード打ってました。

とにかく筆の遅い私が、なんと1日で書き上げてしまったのです!

誰かに役立つ情報を配信したいと思いでこのブログを運営していますが、この記事に関してはなんのハウツーも教訓もありません(笑)

でも、読んでいただいた方が何か感じ取っていただけたら嬉しいですね。

いつかA高校が甲子園に行ったとき、また続きを書きたいと思いますので、この話はTo be continuedとさせていただきます。

 

この記事が参考になれば幸いです。


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ABOUTこの記事をかいた人

東京在住、元スノーボードインストラクターという一風変わった肩書きを持つ35歳のサラリーマンで、子育てと父親のあり方について考える子育てプロデューサー。 独身時代から多趣味なことが災いし、子どもが生まれたあともしばらくは自分中心の生活を続けていましたが、ある出来事をきっかけに改心して、今では娘と過ごす時間を一番に考え充実した毎日を過ごしています。