親子関係で考える愛と恋の違いとは【子どもの教育】

スポンサーリンク

こんにちは、らくスノです。

親が子に捧げる無償の愛は人種や宗教に関係無く、世界共通のものですよね。

しかし、いつの間にか無償の愛が変化し、子どもが親のエゴやプライドの犠牲になってはいないでしょうか?

今回は親子関係で考える愛と恋の違いについてお話したいと思います。

※この記事は理想論やうんちくが多いので、肩の力を抜いてご覧ください(笑)

愛と恋の違いとは?

そもそも、愛と恋の違いとはなんでしょうか。

「相手の一部を好きになるのが恋、悪いところも含め全て好きになるのが愛」

「恋が進化したものが愛」

「片思いが恋、両思いが愛」

どれも哲学的で説得力がありますね。

そうなんです、明確な定義はありません。

英語では愛も恋も”LOVE”ですから。
それこそ100人いたら100通りの考え方があるわけです。

私は以前読んだ本の中で、愛と恋の違いについてとても感銘を受けた説明があるのでここで紹介させていただきます。

愛は与えるもの、恋は与えられるもの

愛は与えるもの、恋は与えられるもの。

その本を読んだのは10年以上前ですが、この言葉を見た時とても感動したのを覚えています。

例えばキリスト教でいう愛の定義は、神が自らを犠牲にして人々に幸福を与えることなんですが(アガペー)、まさにこの言葉と一致しますね。

そんなにスケールの大きな話では無くても、

“初恋”

“出会い”

“別れ”

“結婚”

“出産”

生まれてから現在に至るまで、私の人生はこの言葉に一致することばかりでした。

だから子どもには愛で接しなければならない

話を戻しましょう。

親が子どもに与えるのは”恋”ではなく”愛”でなければいけません。
だって、親子恋、無償の恋とは言わないですよね。

ちょっとトゲのある言い方かもしれませんが、子どもは自ら望んで生まれたわけではありません。

自分が望んでいようが無かろうが、親のエゴで産んでしまったことは確かです。

ですから、本来は子どもに与えることはあっても、与えられることを望んではいけないのです。

与えて欲しいなんて思ってないけど?

本当にそうでしょうか。

日頃から、

「勉強しなさい!」

「あんた、そんなことやっていて将来どうするの!」

なんて、お子さんに言っていませんか?

勉強して欲しい、将来幸せになって欲しいという考えは、「欲」という言葉が出てきている時点でもう愛ではありません。

本来は愛を与えた結果、学力や将来の幸せにつながるのが自然な流れです。

勉強しなさいと言ってはいけないのは、裏を返せば親の欲望だからなんです。

親はあくまで子どもの幸せを願っているから注意するのではないですか?

何をもって幸せと思うかは子どもであり、親が決めることではありません。

親が与えた愛の結果として、自らが描く理想の人生をおくることが”幸せ”なのです。

繰り返しになりますが「親は子どもを愛すべきだが、恋するべきではない」と思います。

では、どうすれば子どもに愛を与えることができるのか?

ブログのセオリーでは、この項で問題解決の手段をお話しするべきなんでしょうが…すみません、残念ながら答えは私にも分かりません。

人それぞれ愛情表現のかたちは違うでしょうし、私自身”娘に愛を与えること”については日々模索しています。

しかし、私には愛の与え方について教えてくれた人がいました。

それは、私の両親です。

両親の愛は”私の味方でいてくれること”だった

私も月並みに反抗期があり、

「くそババァ!」と罵声を浴びせてみたり、

学校でタバコが見つかり親が呼び出されたり、

父にいたっては高校時代ほとんど会話をしませんでした。

それでも、両親は私の味方でいてくれたのです。

私が先輩に殴られて怪我をした時は、母が学校に怒鳴り込んできましたし(笑)突然プロスノーボーダーになりたいと休学して山ごもりを始めた時も、両親は特に反対しませんでした。

私にとって人生のターニングポイントだった恋人に婚約破棄された時も、一時は自殺まで考えた私を支えてくれました。

10年間付き合った婚約者に浮気されて死のうと思った話

最近聞いた話なんですが、父は幼少のころ両親が離婚し、引き取った母(私にとっての祖母)もまもなく病死したので、親戚や姉に育ててもらったそうです。

母は大学に合格していたにも関わらず、実家が火事になり進学を諦めて就職しました。

両親は夢を諦めるしかなかったので、結婚する前に「自分たちの子どもには好きなことをやらせてあげよう」と誓ったと聞きました。

自由にさせることが愛ではない

ここまでお話ししましたが、誤解があるといけないので補足しておきます。

たまたま、両親が私を自由に育ててくれただけであって、なんでもやりたいようにさせるのが”愛”ではありません。

悪いことをしたら叱り、時には人生の先輩として進む道を教えてあげることも”愛”のひとつです。

各家庭で”愛”の表現方法が違うということを、ここに追記しておきます。

愛は感じること

ジョン・レノンの言葉を借りれば、「愛は感じること(Love is feeling)」なんです。

私も当時は、それが親の愛だとは微塵も思っていませんでした。

もちろん、両親が「お前を愛しているからだ!」なんて言ったことはありません。

でも、今になって思うと、私に対する両親の行動はすべて愛でした。

もちろんかたちあるものではないですし、言葉で表現できることでもないです。

子どもが親の愛を感じた時に、はじめてそれが”愛を与えた”といえるのかもしれませんね。

まとめ

いかがでしたでしょうか。

かなり抽象的な表現が多かったので、最後にまとめてみたいと思います。

  1. 愛は与えるもの、恋は与えられるもの。
  2. 親が子どもに見返りを求めない、無償の愛でなくてはいけない。
  3. 親の思い描いたレールに乗ることが子どもの幸せではない。
  4. 愛を与える方法は人それぞれにある。

前述のように、与えられること望んではいけないというのが個人的な意見ですが、子どもが成長するにしたがって両親に愛を与えることができるようになります。

例えば、幼児が描く両親の似顔絵や小学生が母の日や父の日に書く感謝状などがまさにそうですね。

子どもは見返りを求めているかもしれませんが(笑)

極端に言ってしまえば、生まれてきてくれたこと、すくすくと成長してくれることが両親にとって一番”愛”を感じる時かもしれません。

私も人の親になって初めて気づきました、これが親子愛というものなのでしょうね。

私も月並みではありますが、両親に旅行や食事をプレゼントしました。(恥ずかしいので、ものでしか表現できないのが息子なんです笑)

今度は自分の娘にもっと愛を与えることができるように、日々精進していこうと思います。

この記事が参考になれば幸いです。


スポンサーリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

ABOUTこの記事をかいた人

東京在住、元スノーボードインストラクターという一風変わった肩書きを持つ35歳のサラリーマンで、子育てと父親のあり方について考える子育てプロデューサー。 独身時代から多趣味なことが災いし、子どもが生まれたあともしばらくは自分中心の生活を続けていましたが、ある出来事をきっかけに改心して、今では娘と過ごす時間を一番に考え充実した毎日を過ごしています。